実験的に、ある程度の言語化をして初見の本を読むというのを1週間ほど行ったのですが…。
やっぱり思ったのは誰でも一日1冊はできるでしょ…ということです。

大体200~300ページほどの本だったのですが、まあ長くても2時間掛かるかどうかくらいでした。

一日2時間くらいの時間を取れればOKなのですから、正直ほとんどの人は確保できる時間でしょう。

もちろん、1時間が限界だ…という人は、無理に「最初から」一日1冊を読もうとしなくて大丈夫です。
二日で1冊とかでも全然良いのです。

一応タイトルではあのように書きましたが、大切なことは冊数よりも本を読んでしっかりと思考をしている時間です。

もちろんいくつも理由があるのですが、ここでは、自分が知らない未知な内容に触れている状態と思ってください。

「前例主義思考」というのがいい例ですが、人間は気を抜くとすぐにこの様な思考状態になります。
言うなれば思考を放棄して状態です。

さらに付け加えると、これは全部が思考停止になる…ということだけではなく、例えば、全体を10として7は思考が働いているが残りの3は思考停止をしている…みたいな人も多くいます。

これは別の言い方をするのであれば、残り3の思考停止の部分はスコトーマが働いている可能性が高い
とも言えます。

つまりは、スコトーマが働いている3の部分がネックになって、見落としている情報が多く存在をしている…ということです。
例えば、この記事のタイトルにある様に、前例主義を参考にしているために、毎日1冊の本を読むのは不可能である…という勘違いです。

ですがそんなことはなく、多くの人には一日1冊くらいは本を読む時間が確実にあります。
出来れば一日に2時間くらいは読書時間を取って思考を行いましょう!と言いたいです。

年々、読書に対する時間ですらも国民全体でだいぶ開きが大きくなっています。
つまりは、ここでも格差が出来ている…ということです。

本気で読んでいる人も増えている一方、それ以上に読んでいない…。
もしくは、読んでいるつもりの自称読書家、速読家という感じで分かれています。

ここではパッと見は3種類に見えるでしょうが、
自称読書家は私の中では読書をしていることにはなりません。
単なる自己満足を得るために書籍を利用しているだけで本来の読書を行っていないからです。
ということで、結局は読書習慣がある人と無い人の2極化になる訳です。

デジタルネイティブと呼ばれる世代の中からは、とてつもなく優秀な人材が出てくる一方で、それ以外の多くは平均よりも下の極に行く可能性が高い…のではなく、すでにその様になっています。

理由の一つとしては、多くの人はテクノロジーなどの発達により本当に頭を使わなくなっている…という感覚があります。

ドラえもんの映画で「不思議のラビリンス」という作品がありますが、あの作品では自ら身体を使わないでサポート機械に任せきりにした結果、身体能力が極端に低くなった…という登場人物が出てきますが、今の時点の現代においては身体ではなく思考能力がこのようになっている…と言えます。

ですので、この様な思考停止の人間が自己満足を得るための行為の一つが自称読書家の眺めていれば理論(詭弁)です。

私が「それは効果がない」と何度も言っている「眺めていればそのうちにわかるんです~」とかいう言い分は、要は、自分の無知から眼を背けている人の言い訳です。

つまり、言語化しても理解できないから、とにかく眺めておいて、そのうち字面だけでも理解できた気になりたい!という本当に時間の無駄な自慰行為です。


つまり、いくら口先では「どんどん知識を吸収して成長したい、運用をしたい、価値を出したい」と言っても、本音は「読書家な自分凄いでしょ?」な訳です。

これはつまり、大切な部分である「著者の視点に立って本を読む、世界を観る」という行為が出来ていない証拠です。

以前も書いたかもしれませんが、芝居の時に役を自分に引き付ける行為と同じです。
つまり役の気持ちを理解するのではなく、自己満足的に自分勝手に役の気持ちを解釈していることになる訳です。
これは役の視点ではなく自分の視点で舞台に立とうとしている訳です。

それと同じ行為が「眺めていれば~」とかいう行為です。

私たちは全知全能の神ではありません。
わからない内容があるのは当然ですし、全く触れてこなかった内容を一発で、一瞬で理解をし、血肉にできる人はまずいません。
ですので、そこは自分にとってうれしい、喜ばしい試練、壁であると受け入れて、地道かもしれませんし、地味かもしれませんし、多少時間や労力を使うかもしれませんが、できることから取り組んでいけば良いのです。

堀江貴文さんの「ゼロ」という書籍がありますが、その中でいえば安易に掛け算を求めない…ということです。

まずは足し算から始める!というのは多くの場合とても大切です。

言い換えるのであれば、ある程度の土台ができてから掛け算も使い出す…という方がいいでしょう。

そして、次の段階に進んだ時には、また足し算から始めることも良くあることです。
それはゼロに戻ったわけでは無く次の段階に進んだ結果であり、つまりは新たなステージの始まりになります。

最近よく例に出している、ファイナルファンタジーオペラオムニアというゲームがありますが、最近上限のレベルが60から70になりました。
新たな70というステージを進む際に今までの掛け算を利用することも出来ますが、新たに0からの足し算も必要になりました。
ここであれば今までのアイテムに加えて、新しく追加されたアイテムを集める必要がある!という意味です。

ですが、この内容はゲーム以外の多くのことに当てはまります。

何事もそうですが、成長をするというのは、新しい内容が追加されてゲシュタルトが広がるという意味です。

先のオペラオムニアでまた例えるならアップデートにより章が追加されていくような感覚です。

このゲシュタルトがある程度の大きさになっている人であれば、いきなり掛け算を使うことも可能です。

これは苫米地英人さんの「オトナ脳」などに出てくる、レオナルドダヴィンチのLUB(リーストアッパーバウンド)という内容がわかりやすいです。

要は、すでに獲得している内容と新たに獲得をしようとする内容との最小公倍数の次元で取り込むことで、すでにある内容を利用して加速学習を可能にするという内容です。

ですが、最小公倍数という言葉通りに、組み込む内容が0では機能しないことになります。

そして多くの人はほとんどが0の状態になります。

そして困ったことに、例えば全くラケットを握ったことがなく、さらには運動もしてこなかったような人物が、いきなり錦織選手とかに「週一回1時間で世界1位になる方法を教えてよ」と言っているような人が本当に今の日本では多すぎます…。

これはどんなジャンルでもそうですが聴いた人に対してあまりにも失礼です。

もちろん、速く成長して、あなたに追いつきたいので、なにか効果的な方法はありませんか?というのであれば、まあ良いとは思います。
そうではなく自己変革なく、つまり今の延長線で手抜き的な意味合いで、基本的に何もしなくても、ラクに達成ができるというマインドを軸にして、他人に何かを求める人が多過ぎるのです。

そうではなく正しく楽をする、楽にできるようになる!というのであれば良いのですが、
単に、ワンピースという漫画のゲッコーモリアみたいに、海賊王に俺をしろ!的な他人任せ、他人依存の人間が多すぎるのです。


それが、自分と著者との一対一の対話である読書にまで起きているのですから、呆れるほかありません。

その様な人間に対しては私は時間を使いません。

そうではなく、自分の人生を主人公として進んでいくぞ!という気持ちをもっている人に対してはできる限り何かしらのきっかけや、手助けになる様に時間を使いたいと思っています。

そしてその為の0からの一歩目の方法の一つとなるのが、今できる時間と読書スピードで良いから、とにかく著者と対話をするという行為だと思います。

言い換えるのであれば、毎日1冊の本を読むということは毎日一人の人物と一対一で対話をしているとも言えます。

これは新しい刺激を毎日加えていると言うことにもなります。

ですから大きな変化に繋がっていきますし、どんどん成長をしていくし、社会に対しても価値を出し続けられる。

他人任せの何もしないで成果を得たいマインドの情報が現代は溢れすぎています。
ですので、これらのマインドに毒されないように、まずは0から一つずつ足していきましょう。

そして、ある瞬間から、足し算だけでなく、掛け算も利用できる瞬間が来ます。
その瞬間を迎えたら、さらに加速度的に成長をして、成果を出して行けるようになるでしょう。

その瞬間まで腐らないで、楽しんで進んでいきましょう。

それでは、今日も最高の一日を。