ちなみに、今回の主題歌という中には、広義における挿入歌なども含んでいます。
…で。
なぜこのような記事を書こうと思ったのか?というと、他の記事でも書いている「君の膵臓をたべたい」という小説を読んだら、色んな曲が頭の中に浮かんできたからです。

キミスイはアニメ化、実写映画化をしているので、商業的な意味合いでは、それらの作品で使われている楽曲が公式の主題歌…という定義で良いと思います。

ただ、別に商業作品として世に出すわけではないので、その辺は自分が好きな曲を自由に使うのもありかな…?と思い、今回の記事を書こうと思いました。

自分の中で臨場感が強くなるポイントは人の数だけ存在をする。

これは別の記事でも書いていますが、その人が小説などを始めとする作品や、出来事などから臨場感を強く感じるときというのは、その人がもともと持っている記憶が関係しています。

ここでは簡単に書いておきますが、例えばワンピースのエースが赤犬に殺されたシーンで涙を流す人は、記憶の中にある、誰かとの別れの記憶をもとにして、エースの死を体感しています。
この時に使われる記憶の感情や体感は、実際にリアルで死別をした記憶だけが使われるのではありません。
使われる記憶の情報は、一つの記憶を利用するのではなく、今までしてきた、いくつもの記憶の情報を材料として、その時に、シーンにピッタリな感情を体感させてくれている…という感じです。
なので、今まで死別だけでなく、例えば転校などの大きな別れの経験を実際にしたことが無い人でも、エースとの別れの時に、大きな悲しみなどの感情を感じることができるのです。
そしてこれは、悲しいとき、シーンだけで機能をするのではなく、すべてのシーンで機能をするのです。

それであれば、商業的な意味合いでの公式では、自分のイメージとは異なる曲が使われていても、自分が個人で楽しむときに、その辺を無視して自分なりの世界観の要素を強めて楽しむのも、一つの方法と言えます。
もちろん、製作者の意図をできるだけ汲み取ろうとするのも、一つの方法です。

ただ本音を言えば、今の時代に、どれだけの作品が、金銭における利己的な部分が一切無く、本気で作品のクオリティーを高めることに力を注いでいるのか?という部分がありますが…。

もちろん本気で作っていても、個人の好き嫌いは、正直なところ、目利きのある人であればあるほど、大きくなると思ったほうがいいでしょう。
ここに関しては製作者というよりも、受け手の問題だと言えます。

ただ、見出しにもあるように、臨場感を強く感じるポイントは人により違いますし、日によっても違うこともあるでしょう。


そもそも、公式の曲が少なすぎる。

先程書いた様に、臨場感を強く感じるポイントは、日によっても違ってきます。
それはある意味当然のことで、普通の人間であれば、毎日それなりに違う出来事を体感していますし、読書習慣などの作品や知識に触れることが日常であれば、昨日と今日で大きく違うことも普通にあります。

そうなると例えば、昨日はこのシーンで一番ピッタリだった曲が「硝子の少年」だったのに、今日は「恋はブレッキー」だった…なんてことが普通にあります。
それは昨日と今日で、その作品に直接的に触れていなくても、他の多くの情報や体験が加わった、変わったことで、一番ピッタリだった曲がガラリと自然と変わったのです。

このように、人間というのは、凄く簡単に変わる生き物でもあるのです。

そう考えると、今主流の「公式曲は一曲のみ」みたいな、業界の都合によるマイナス面を、個人においては排除することで、より一層自分が好きな作品を豊かに感じることができます。

これは考えてみれば当然のことで、例えば、今ではRPGゲームでもマルチエンディングが普通になりました。
そう考えれば、主題歌だって複数あってもいいはずです。
これはワンピースなどであれば、それぞれのキャラクターのメインテーマがあるようなイメージが近いと思います。
しかし今回言いたいのは、各キャラクターやストーリーごとにではなく、全体を通して複数の主題歌がある!ということです。

これはこれまた、ワンピースのように長期に放送をされている作品で、物語が進むにつれて主題歌が変わる…というのとも違います。
つまりは、オリジナルの映画作品だとして、その中で複数の主題歌がある!というイメージです。

というのも、作り手側には、しっかりとした主題があるのは当然ですが、その受け手側に、そのまま主題が伝わるとは限らないからです。
ですので、製作者の主題は当然大切にして、主軸としておくのは全然OKですし、むしろそうするべきでしょう。

ただ、その視点から少しずらして、いろいろな角度から、つまりは複数の受け手の視点も考えてみる…ということです。
例えば、青春モノの小説が作者本来の意図だとしても、ある人にとっては恋愛ものとして認識をする人もいます。

このような感じで、いくつかの可能性も考えておく、または受け手の側が(あえて)自由に感じる…という言い方もできるでしょう。
そういう意味では製作者の側に、このような受け手が自由に解釈をする!ということを、認めてあげるだけの寛容さなども必要になるでしょう。
もちろん私自身は製作者の人々に、このような寛容さを全員が持てよ!と強要をする気は一切ありませんので、その辺は誤解をしないでください。
ただあくまでも現状をベースとした場合に、このような選択肢もあるよね?ということを、明文化しただけです。

これも他の記事で書いた、バンプオブチキンの天体観測などが良い例でしょう。
余程悪質な接し方でなければ、後は自由に作品に触れる…という考え方も一つの選択肢だということを、認識してみてください。
きっと、もっと世界が広がるハズですから!


一つだけの主題歌しか「ダメ」だと思い込むのは、洗脳されているから…かもしれない?

ちょっと娯楽的な要素から外れますが、大切なことだと思うので書きましょう。

これは娯楽的な内容以外のもっと広い意味合いで言えることですが、本来は選択肢というのは無限に存在をしているのに、ある一方的な一つの、もしくは少数の内容から選択をさせるような内容が、この国には沢山あります。
それらについては具体的に書くとキリがないので割愛をしますが、ちょっと冷静になって考えてみればすぐに浮かんでくるのではないでしょうか?

しかし多くの人の場合、自分で選択をしているようなつもりでも、実は「選択をさせられている」ということが珍しくありません。
その時の仕掛けている側については、先程書いた様に、今回は割愛をします。

これは、時の支配者がよく使う方法です。
というのも、「支配者」という言葉の通りに、「リーダー」ではありません。
支配者が欲しいモノの一つに、多くの奴隷があります。それも、とても従順な奴隷です。
その奴隷を量産し、なおかつ、固定化させる方法の一つが、選択肢を与えないことです。
つまりは、支配者からの命令のみを聴く様な環境を作り上げることです。

もちろん、今の日本はこのような支配者と奴隷の国ではありません。
ですが、このような方法を使おうとする個人や集団は、日常的によく見かけます。
それは、ブラック企業を始めとして、地域の集まりであったり、部活やサークル、学校などでの教師と生徒との(歪んだ)関係、そして、友人関係や親子関係など、人が複数人存在をしている場所には、必ず現れると言ってもいいくらいです。
もちろん、潜在的にこのような問題があるのは当然ですが、とくに今の日本では、この問題が顕在化をしやすい傾向にあると言えます。

身近な友人関係でも、自分が独りになるのが嫌で、「あなたの友達は私だけだよ?」という風に仕向けている人も多くいるでしょう。
このような内容も、「選択をさせられている」という典型の一つと言えます。

たかが、ある作品に対しての、楽しみ方の一つの方法ですが、このような何気ない行為でも、今まで見えなかった殻や呪縛を消し去るきっかけにもなります。

まあ、この内容に関しては、本当におまけみたいな感じで今は認識をして貰えればいいと思います。
そこまで堅苦しく毎回やっていると、せっかくの楽しい気分も無くなってしまうでしょうから(笑)
ただ、楽しみながら、問題を解決するための訓練もありますよ~ということを、なんとなくでも知ってもらえればいいかな…と思います。

世界はきっと僕ら次第!!

実はこの見出しは、ある曲の歌詞からお借りしています。
まあ、これだけで分かった人がいたら、驚きますけどね(笑)

何度も書きますが、基本的に作品というのは、世に放たれた瞬間から市井の人々に委ねられることになります。
これは、私が大好きな山下達郎さんがよく言われる言葉になります。

この山下さんの言葉以外にも、そもそものコミュニケーション自体が相手の側に委ねられるとも言えます。
ですから、コミュニケーションというのは、自分と相手との世界観のすり合わせとも言えます。

という訳ではありませんが、作品とのコミュニケーションにおいても、自分と作品との世界観をすり合わせることもOKだと私の中では考えています。

そして、このようなすり合わせにより、新しい世界が出来上がることになります。
それこそ、製作者の世界がAだとしたら、私が触れた世界はA1という世界になり、あなたが触れた世界はA2という世界になる…という感じです。
制作者の世界を基準として、そこから受け手の数だけ世界が広がる、出来上がることになります。
そして私は、このような感じで多くの(情報)世界が沢山出来ることは、とてもいいことだと思います。
それは、昨今の同人誌ブームからもわかるのではないでしょうか?

そして、これはまた別の記事で詳しく書こうと思う内容ですが、これからのテクノロジーの爆発的な発達により、バーチャルワールドがリアルワールドと、どんどん融合することになるでしょう。
そして、バーチャルワールドもどんどん広がっていくことになります。
その時の拡張の起点は、皆さんの頭の中にある世界観になるわけです。

ですからその時まで、皆さんの中の、その素晴らしい世界を、どんどん大きくして貰いたいとも思います。
これからの人類は、宇宙空間や深海だけでなく、皆さんの頭の中にある情報世界にも、領土を広げていくでしょう。
そのような世界を楽しみに待ちながら、今の作品にどんどん楽しんで触れていきましょう!

それでは、今日も最高の一日を!