ネットの中では、「価値ある記事を書きましょう教」をよく見かけるでしょう(笑)

記事に限らず、価値のある内容を届けるのは良いことですし、それを前提にすることもいいことです。


ですが、多くの場合、この価値の中身は、お金になります。

もしくは、作り手側の自己顕示欲とか、承認欲求とか…。

ほとんどが、自分の「現代欲求」の何かを、満たすための言葉になります。

つまりは、他の人のためにではなく、自分の欲を満たすために…(・∀・)ニヤニヤ
という目的ですね。


まあ、とりあえず、今回はこの部分については深く書こうとは思っていません。

ただ、もう少しだけ書いておくと…。

結局ほとんどの場合は、自分の手元に小銭が少しでも多く来るために…(・∀・)ニヤニヤ
という目的です。

もっと簡単に言えば、金を手に入れることを大前提に考えている、ということですね。


しかし、この考え方「のみ」では、すぐに頭打ちになりますし、多くの場合、止めた方が良い方法や内容に手を出すでしょう。

つまりは、長い視点で見て、人生という時間での視点で考えると、デメリットが多過ぎるのです。


まあ、これについては、この辺で。


それでは、今回の本題です。



価値、という言葉の中身も、ある意味極端に言えば、人の数だけ価値の種類がある…ということが出来ます。


例えば、多くの人は、お金を増やす方法というのは、価値になり易いでしょう。

しかし、すでに十分すぎる資産と、お金を増やす仕組みを持っている人からしたら、価値でも何でもない。


それとは違い、以前書いた、「エアコンのパテを自分でつけた感想の記事」などは、ほとんどの人には、価値のない記事でしょう。

ですが、今まさに、これから自分でパテをつけるぞ!という人には、何かしらの価値が「生まれる」可能性があります。


このことを例に少し書きますが。

この記事では、パテの詳しい交換の方法などは、書いていません。

この記事にも書きましたが、今は詳しく説明をしてくれるサイトがあるので、それらを参考にした方が、いいと思ったからです。

その代わりに、自分が、それらの説明がしっかりとしているサイトを参考にしながら行った時に感じた、感想や…。

それらのサイトには、書いていなかったことを書くようにしました。

つまりは、少しでも多くの「異なる情報」が、必要な人に届くように…という考えで書いた訳です。



この場合は、どちらかというと、まだまだ少ない情報、内容を記事にする、という感じです。


しかし、その逆も効果がある…。
人もいます。

というのも、人間は、考え方にも「癖」がある生き物です。

このような考え方のクセからできる「盲点」もあります。

この「思考の盲点」は、個人により違いがあります。

そしてこの思考の盲点は、人間には必ず存在をするのです。

そうなると、一般的な常識とか、決まり事みたいな社会常識的な内容にも働くようになります。


ですから、あえて当たり前のことを書いてみる、伝えてみる…というアプローチが効果を出すときもあります。

例えば、つい最近、自分の中では当たり前の考えを投稿したら、めちゃくちゃバズって驚いている…という内容を見つけました。
実際に私も、その方の投稿した内容には肯定的に捉えています。


このような、自分の中では当たり前だが、他人にとっては金言や目から鱗が落ちる内容であった…ということも珍しくありません。

ただ、これもどちらかというと、大衆的な考え方や習慣とは、少し違った視点の内容が多いです。


このような、希少性がある、もしくは、希少性がある様に見える情報以外のことでも、価値が出来ることがある。
というのが、今回の記事のメインになります。


それが、多くの人が、当たり前でしょう。
という風に、感情の変化も特に起きない、「あっ…。はい…。」みたいな、反応の薄いリアクション…を取るのが普通…みたいな、そんな内容です(笑)


後は、あれな人間の場合は逆で、めっちゃ感情的になります(笑)

ちなみに、このような内容で感情的になる人には、当然ですがそれなりの理由があります。

まあ、書こうと思いましたが、長くなったので、別の記事で(笑)

ただ、少し書いておくと、自分も知っている当たり前なことを、発信して、称賛を浴びている人間に対して、嫉妬をしている…というのは、よくあることだと思います。
もちろん、これ以外にもありますが、大体はこんな感じです。


話を戻しましょう。


先程、思考の盲点について書きましたが、当たり前となっていることでも、その当たり前の内容が盲点になっていることもよくあります。

そうなると、その当たり前…という内容が、その人にとって、効果的な内容だった場合、当たり前とされている内容を伝えることで、いい方向に進む可能性は高くなります。

しかし、当たり前過ぎるから、逆に誰も言ってくれなくて、困っている…という状況ですね。


これもネットで見かけた漫画なのですが…。

タイトルは忘れましたが、体験漫画のハズです。

内容は、自分たちの住む家が火事になってしまい、外に逃げて、野次馬連中と一緒に、消防車が来るのを待っています。
しかし、誰一人として、消防車を呼んでいなかった。
という内容です。

詳しい話は忘れましたが(m´・ω・`)m ゴメン…
要は、これだけの火事だから、誰かが消防に電話しているだろう…という内容でした。
しかし、実際には、誰も呼んでいなかった。

火事が起きたら、消防署に電話をするのが、当たり前…という認識が、生んだ悲劇とも言えます。

正確には、自分は電話をしていないが、これだけの火事だから、誰かが、当然消防車を呼んでいるよな…。
という、思考ですね。

まあ、この場合は、野次馬に来ている人間も、多少なりとも火事の影響で、IQが下がっているハズですから、仕方がない…とここでは書きましょう。


しかし、このようなことが原因で、近くにある解決策などが見えなくなっている人は沢山居ます。

ですから、そういう人達にとっては、当たり前とか、当然とか、常識とか、身近、もしくは、大前提という様な内容が、金言のような価値になることも珍しくない。



そして、個人的には嫌いな部類の現象ですが…。

日本人には、同じ内容でも、誰が言ったかで、自分の受け取り方が、大きく変わる人が沢山居ます。

それこそ、自分が嫌いな人間が言った場合と、自分のお気に入りの人が言った場合では、真逆の評価をします。


ですから、同じ(ような)内容でも、伝え方や、タイミングなどを変えて、届けるというアプローチをする必要があります。

なので、当たり前のことでも、自分が書きたい…と思ったら、書いてもいいじゃね(。´・ω・)?
と思ったので、どんどん書いていこう(`・ω・´)
という思いで、今回記事を書いた訳です(笑)


また、当たり前という感覚も、正確には、人それぞれで、だいぶ大きく変わってきます。
ですから、自分では言うに足りない…と思っていることでも、あえて言ってみることをおススメします。

それが、先程書いた、バズった例のようになる可能性も、十分にあるからです。

まあ、私としては、バズり目的でする発言は、アレだと思っていますが(笑)


という感じで、今回はこの辺で。


個人的に嫌いなのが、馬鹿な連中ほど、自分が知っている、もしくは知っていると勘違いした情報を認識すると、邪魔をしてきます。

「そんな内容、自分は、すでに知っていて価値が無いんだよ!役立たず‼」みたいな感じでしょうか(; ・`д・´)

しかし、自分は知っていただけで、他の人が知っているとは限らない。

さらには、他の多くの人が知っていても、あなたが知っているとは限らない。

さらに、さらに。

あなたも知ってはいるが、その瞬間に改めて触れたことで、価値が生まれる可能性もある、ということですね。


このような可能性も珍しくありません。

ですから自分で、もしかしたら(。´・ω・)?
とか。

これを書きたいな、発信したいな…と思ったら、極力やってみると良いでしょう。


もちろん、反社会的な内容は、止めて貰いたいですが(笑)


それ以外であれば、ものは試し(;゚д゚)ゴクリ…
というトライ&エラーを基準にして、自分なりにどんどんやってみましょう。

そして、あれな連中からの嫌がらせは、全部無視でOKです( ̄ー ̄)


それでは、今日も最高の一日を!