人間関係

インフルエンサーやリーダーには「勇気」が必要だ!そして「勇気」は「知識」を超えた先にある!

近年ではネットを中心に「(自称)インフルエンサー」がそこら中に存在します。
そもそもインフルエンサーとは、現状では個人の広告塔という感じですが、不特定多数に対して(多少の)影響力があることは、間違いがないでしょう。
それとは別に、「リーダー」と言うのは、組織をはじめとした大小さまざまな集団において、自分も含めてメンバー全員を正しい方向へ「導く存在」と言えます。
インフルエンサーとリーダーでは、本質的な部分では違いがありますが、他人に何かしらの影響を与える存在という部分では共通をしています。
このことに関して、以下の文章が役に立つので、引用をします。

日本人のグループ5人が熱帯雨林のジャングルに紛れ込んでしまいました。助けを呼ぶにも携帯電話が通じません。地図もなければ方角さえ分かりません。さらに食料もほとんどない。このような状況下で、リーダーの役割とは何でしょうか?


リーダーの役割、それはリーダー自らが高い木によじ登り、現在の位置を確認しつつ、進むべき方向をメンバーに示すことです。


「立ち読みしなさい!(240~241ページ)」
ありがとう出版 2013年10月7日 初版発行
著者 苫米地英人


この文章を読んで、皆さんはどう感じたでしょうか?
もし、「そんなことは当たり前だ!自分なら簡単に、すぐにやるさ!」と言う感じで、少しでも呆れたような感覚が出てきたら、申し訳ないですが、あなたにリーダーの能力は(まだ)ありません。

というのも、想像力があまりにも無いからです。
普通に考えて、全くの未知の場所、しかも、熱帯雨林のジャングルという場所で、だれもが簡単に高い木によじ登るというのは、現実的にまずありえないからです。


知識を超えるからこそ勇気と呼べる

先程の引用部分を読んで、しっかりとイメージが出来た人であれば、高い木によじ登るというのが、どれだけ危険なことかは、すぐに理解ができるはずです。というのも、近所の公園や学校の木とは違い、本当に何がいるのか、何があるのか、全くわからないからです。

その中には当然ながら、毒蜘蛛や、毒蛇などがいます。もしくは、登ろうとする木自体に毒があるかもしれませんし、毒は無くても、鋭利な棘が無数にあるかもしれません。
また、凶暴なサルや鳥などがいて、途中で噛まれたり、攻撃をされて、木から落ちるかもしれません。

この他にも、まだまだ危険だと思える内容が沢山ありますが、これらの知識や情報を知ったうえで、それでも高い木によじ登り、他のメンバーの為に、生還への道を示す必要があるのです。

ちなみに、一見勇気がある様に見えて、実は単なる無謀な人と言うのは、先程書いたような、その時にわかる範囲での知識や情報をしっかりと運用して、思考をすることなく、単なる感情的な行動をする人です。
傍から見ると勇敢に見えますが、その行動は、半ばやけくそであったり、思量が足りない行動ということがほとんどです。
これは言い換えれば「行き当たりばったり」ということになります。

実際に、自分がこのような人の指示で運命を決めなければならないとしたら…皆さんはどう思いますか?おそらく、運命を託す!という人は少ないと思います。

リーダーというのは、沢山の知識と、その知識を素早く運用、思考をして、判断を下す能力が大切なのです。
その時の判断には、引用に出てきたような、自分にとってとても危険な内容もあることでしょう。しかし、それを分かったうえで、それでも、仲間のためにも、自ら勇敢に進んでいく必要があるのです。
だからこそ、勇気というのは、知識という内容を超えた先にあると言えるのです。
この時の知識とは、一種の不安や恐怖と呼べます。これらのネガティブな内容を理解したうえで、それでも進む。そのような状態が本当の勇気なのです。


「飛ばし読み」を良しとする人間はリーダーにはなれない。

ここで現代における情報収集の一つと呼べる読書という行為を例に、続きを書きたいと思います。
近年では、情報が爆発的に増えたことで、素早い情報処理スキルというのが、人気となっています。
その中で、速読と呼ばれる内容も人気がありますが、一般的に認識をされている方法は、ほとんどが「飛ばし読みの技術」になります。

この方法を速読だと言い張る人間の主張は、「本全体で(今の自分に)価値がある内容は、ほんの一部である。だからその部分だけ読めば十分である」という内容です。
つまりは、本全体では、ほとんど意味がない、価値がない部分が大半である。という風に言っている訳です。
しかも、実際に本を出版したり、編集をしている人間もこのように言っているのですから、呆れたものです。
このような人たちは、自分たちが作っている本は、ほとんど価値がない!と自分で言っているようなものです。しかも、その不要な部分をあえて削らずに、読者に読ませているのですから、悪質としか言えません。

では、このような飛ばし読みを人間関係に当てはめるとどうなるでしょうか?
間違いなく、その人の都合がいい部分、その時に興味が出た部分しか認識に上がらないので、相手をしっかりと理解をする、ということができないことになります。

当然ながら、リーダーという人は多くの情報を知っている必要があります。この部分には、対人関係としての、個人個人ごとの情報も含まれています。
個人と言う情報も、書籍と同じか、それ以上にたくさんの内容で構成をされています。それなのに、自分の都合を基準に、狭すぎるフィルターをわざわざ使うような人が、しっかりとリーダーが務まるのでしょうか?
まず、無理だと思うのは、皆さんも同じでしょう。しかし現実には、このような名ばかりリーダーが沢山存在をします。

もちろん、それらの多くは組織の役職としてのリーダーですから、広い意味では、そこまで大きな影響はないでしょう。
(本当はあるのですが、それでも、企業のトップクラスとしてのリーダーと比較をした場合…という意味です。)

ただ、これからの時代は今のようにどこかの企業に勤めるよりも、個人で活動をするフリーランスのような働き方が多くの人のメインになるはずです。
おそらく、個人か、ごく少数の集団での活動になると思います。
そうなると、リーダーという立場になる人が事実上増えることになります。
その時に、自分がリーダーになるかもしれませんし、リーダーの下に就くかもしれません。
どちらにしても、しっかりと、その時に出来る限りの全体を把握し、処理をしようとしない人間は、間違ってもリーダーになってはいけません。それは、リーダーとしての職務を放棄していることになるからです。自分都合の基準で行動をする人は、他の人々を奈落の底にしか導けないのです。


簡単に嘘をつける時代だからこそ、日ごろからしっかりと考えることを怠るな

現代はテクノロジーの発達で、今まで以上に嘘や誤魔化しが行いやすくなりました。この記事を書いている時点でも、個人的にいくつかの問題がある内容を追っている最中です。
ハッキリ言いますが、多くの人にとって、その情報が捏造なのかどうかを判断するのは、かなり手間がかかります。ですので、本当に自分が必要なこと以外は、基本的に捨てるのが一番です。

しかし最近では、ニュースなどを意図的に改変して、自分の利益に誘導をする人が多くいます。典型的な炎上トレンドブログなどがわかりやすいとは思いますし、自分に都合がいいようにニュースを加工して、自分の商品を買わせようとする人もいます。この時の商品とは、全く役に立たない情報商材とか、高額なアフィリエイトとかですね。

おそらく、いくつかの内容が思い浮かんだのではないでしょうか?

もちろん、真っ当にニュースなどを使うことは、何ら問題がありません。むしろ、しっかりとした人であれば、他とは違う視点を提供できるので、どんどん行ってもらいたいと思っています。

ですが、先程も書いた様に、今の時代は簡単に情報を加工、捏造できる時代です。なので、すでに死語になりかけている「メディアリテラシー」という内容を、もう一度、自分の中で確認をして貰いたいと思います。

例えば、ニュースにコメント系の動画で、大本となる記事のリンクがあるのであれば、確実にそのリンクの情報と、他の媒体での記事も確認をしましょう。
大本となる記事をそのまま動画にしたり、コピペブログのようにしているのは論外ですが、その発信者の意図がどのように入っているのかを、しっかりと把握するのです。
この時に客観的な姿勢で~という風に言っておきながら、事実上中身はポジショントークばかり…というのは、珍しくありません。というか、ほとんどがこれです。
そうなると、どの部分が、発信者の利益誘導になるのかが、よくわかると思います。
もちろん時には、自分にとって有益な情報に出会うこともありますが、根幹は発信者の利益の為ですから、その部分では、リーダーとしての行為とは言えません。

このような人は、ユーザーの利益のために!と表面上は言いますが、現実は、いかに自分の利益を増やすか?という部分しかないので、意図的に自分に不都合な部分を隠したり、大した問題では無い、という風にミスリードをすることが多いです。

ここで、最初の方に書いた質問を再度しますが、このような人物に運命を託せますか?ということですが、どうでしょうか。まあ、聴くまでもないですよね…。
悲しいことですが、世の中には、本当に自分のことしか考えられない、抽象度が低すぎる人がわんさかいます。そのような人たちの発言に騙されないためにも、可能な限り、様々な情報を多角的に処理をして、しっかりと判断をしてください。


大量の知識と高い処理能力。そして、他人を自分と同じように大切にできる「利他の精神」がリーダーには不可欠

見出しのようなことは、当然だと思われるでしょうが、現実的には、すべてがダメな人がリーダーと名乗っているのは、多くの人が周知の事実でしょう。

利他の精神とは、自己犠牲の精神ではありません。
自分を犠牲にして他人を助けるというのは、一見すると美談に聞こえますが、一つ抽象度を上げて考えれば、このような行為は、自分と言う人間を犠牲にしている訳ですから、結局のところ、誰かを犠牲にしているわけです。そうではなく、誰も犠牲にならない方法を考える、実行をするということです。

犠牲ありきで考えるのは、当然ながらリーダーの考えではなく、独裁者の考え方です。
それを間違えないようにしてください。ただ、このような独裁者の考えが、さも、正論のように世間で認識をされているところを考えると、本当に世の中にはリーダーではなく、独裁者気質な人が多いのだな…と痛感させられます。


これからは、誰もがみなリーダーになれる時代!

ここまで読まれた人であれば、リーダーとはどういう人なのか?
もっと広い意味合いでは、最初に書いたインフルエンサーなども含めた「影響力が(多少なりとも)ある人」という枠組みでもありますが、何かしら他人に影響を与える人は、ここまで書いてきた「リーダーの条件」という部分をしっかりと理解をして、実践をして貰いたいと思います。そうでないと、他人を不幸な方向に導くことになります。

インフルエンサーであれば、自分ではよく理解できていないけど、高額な報酬の商品なので、安易に広めたところ、実はその商品がかなり問題がある代物だと後で気が付いても、すでに手遅れというものです。
問題が発覚をしたということは、その情報よりも多くの被害が、実際に出ているということですから、まさしく自分の無知がミスリードをした典型と言えるでしょう。

また、インフルエンサーと呼ばれる人は、多少なりともファンのような人たちがいます。そのような人たち対して、利己的に接するのか、利他的に接するのかで、多くの人の人生に全く違った影響を与えるのも理解ができるはずです。

これもすでに書きましたが、これらかの時代は、個人での活動がメインになります。そうなると、ほぼ必然的にネットなどで、自分の考えや情報を発信する必要があるでしょう。
そうなったときに、あなたのフォロワーに対して、リーダーのように接することが大切なのはわかるはずです。

これは実際には、フォロワーはメンバーではありませんが、明らかに赤の他人でもありません。他人以上メンバー未満と言った関係になるはずです。
この時に、リーダーのように接するというのは、多くの人の利益になることをしっかりと考え、実践をするということです。

逆説的に聞こえますが、このような行為をするからこそ、結果として自分の利益にもつながるのです。
もっというと、自分の欲望を満たす行為は利益にはつながりません。繋がっているように見えるだけで、本当は色んな部分に害が出ています。
だからこそ、しっかりとまずは、他人の利益を考え、実践をする。同時に、自分の利益もしっかりと考えて、この二つを上手に包摂して生み出していくのです。どこかに偏るのは、どんなことでも、破綻への一本道です。

これからの時代は、個人の時代であると同時に、他人を思いやる時代でもあります。言い換えるのであれば、多様性な人間関係の時代になるということです。
だからこそ、それぞれ、個人個人がリーダーであり、同時にメンバーとなるのです。そのことをしっかりと理解して、これからの時代の準備を進めていきましょう!


それでは、今日も最高の一日を。

その常識は、本当に常識なのかい?

多くの人が、言われると「うっ」とくる言葉の一つに「常識」という言葉があると思います。
しかしなぜに、その言葉に、皆さん「うっ」とくるのか、ちゃんと考えたことがありますか?
おそらく、多くの人が、自分なりの答えを持っていないのではないでしょうか。
だからこそ、ちょっとしたときに言われると「うっ」となるのです。

また、「常識」という言葉を、相手を攻撃するために都合よく利用をする人間も多くいます。というか、ほとんどがこの手の輩だと言ってもいいでしょう。
まず、常識と言うものは、固定的な内容ではなく、時代により変化をする内容です。それこそ、戦中の常識と、戦後何年か経った時代の常識は全然違います。そして、今と昔の常識も違います。

そもそも、多くの人が使う「常識」という言葉の前には、「自分の中での」という言葉がくっついています。つまりは「自分の中の常識では~」という意味合いですね。
さて、このように、隠れた部分を明文化した場合、皆さんはどう思うでしょうか?
おそらく多くの人が、今まで無条件に「常識」と言う言葉に、「ぐぬぬぬぬ~」と来ていた状態から、「それはあんたの意見だろ?」と思いやすくなったのではないでしょうか?

やたらと常識だとか、ルールだとかを「錦の御旗」にして、全くもって「どうでもいいこと」に対して攻撃的に絡んでくる人の多くは、自分の主張を、世間の、世界の人々の意見であり、その代表として自分は、お前に言っているんだ~!みたいな勢いで接触をしてくる人間がほとんどです。
もしくは、個人的なストレスなどをぶつける口実に、使っているという感じですね。

皆さんもお気づきだと思いますが、基本的に、一人の主張よりも、多くの人の主張の方が、インパクトや威力があると思います。もちろん、このような状態がすべて悪いものだとは言いません。必要なことも世の中には沢山あります。

しかし、そのような必要な内容よりも、個人の不満を一時的に解消をするために、世間の代表者のようにふるまって、個人を攻撃したり、酷くなるとイジメなどの悪質な行為にまで繋がっている内容の方が多いと思います。というか、日常的だと思います。

確かに、「常識」という言葉は、とても威力がある言葉です。しかし、言葉と言うのは不思議なもので、少しの違いだけでも、大きく変化をする「ツール」でもあります。
それが、先程書いた「自分の常識では~」という「自分」という言葉が明文化されただけでの、大きな変化です。

「常識」という言葉だけでは、世間や世界、時代などの社会生活全般を意味しているのに対して、その言葉の前に「自分の」という言葉が付くだけで、一気に、世界や時代というスケールから、個人というスケールにまで小さくなってしまいます。もちろん、個人というスケールの内容がすべて世界というスケールよりも、ダメであるとは言いません。基本的に、ちゃんとした内容であれば、どちらも対等だと考えればいいのです。

先程書いた様に、個人の問題…というよりも、単なる、わがままを、世界の問題ごとのようにすり替えている人がいるからこそ、「常識」という言葉に「ぐぬぬぬぬ~」となるのでしょう。
そして、このように「ぐぬぬぬぬ~」となる人が意外に多いというのは、違う角度から見るのであれば、それだけ「卑怯者が多い」ということでもあるのでしょう。

しかし、そこで思い出してもらいたい!その「常識」の言葉の前に、「自分の」という部分が隠れていることを!
それをしっかりと見抜ければ、今まで腑に落ちなったイラつきも、単に「あぁ~、まーた始まった…。」くらいに思えるはずです。

そもそも、本当に常識…というか、世間や他人のことを考えている人間であれば、毎回のように他人を攻撃したり、不快にさせる態度を取ることは、まずありません。
もちろん、神様ではないので、たまには不手際を起こすこともあるでしょうが、本当にその程度です。

言葉というのは、表面的な部分だけでなく、その裏側には、多くの内容や意味合いが含まれていることがほとんどです。これには、日ごろから言語運用能力が低いと思われる人たちも含まれます。

というのも、例えば、街中でのお買い物デートをしているときに、女性から「なにか飲む?」みたいに聞かれたときは、女性の「本音」は、「疲れたから休みたいって意味なんだよ!」みたいに言う人が何年か前にテレビに出てましたが、これなんかはわかりやすいと思います。

なぜ素直に、「疲れたから休みたい」と言わないのか?というと、ここでもいくつか理由があるようです。少しだけ書くと、まずは単純に、素直におしゃべりできない(笑)とか、「嫌われたくない」とかいう意味不明な理由、そして、男性を値踏みしている、というのが多かったようです。
最後の値踏みは、要は、いろいろと自分が言わなくても、都合よく動いてくれるのか?という部分を確認しているようです。

このような感じで、すべての人は、その言葉の中身や裏側に、何かしらの意図を秘めています。その秘められた内容は、素晴らしいものもあれば、愚かな内容もあります。
では、その隠れた内容を見抜くにはどうしたらいいのか?と思った人もいるはずです。それについては、また別の記事で~、とは言いません(笑)

これは逆説的な部分も含まれますが、「言葉以外の内容を観察して、言葉の中身を見抜いていく」という内容と、「言葉をよく観察をして真理を観ていく」という内容が比較的やり易い内容だと思います。

まず、言葉以外の内容を観察するというのは、文字通りになるのですが、例えば、「自分は子供が大好きなんだ~」と、子供好きをアピールする人の多くは、ほとんどの場合、言葉が悪いですが、幼児期の子供をペット感覚で認識をしていることがほとんどです。
ですから、思春期近くなって、自我がより確立され始める年代の子供たちになると、これまでとは真逆の態度を取る人も少なくありません。
このような人間かどうかは、実際にそれぞれの年代の子供たちと接している姿を見ればすぐにわかるでしょう。

そして、さらに深くまで見るために、ここでも、言葉というツールが利用できます。
先程の、「言葉をよく観察する」というのは、今回の例では2つのシーンがあります。
一つ目は、子供たちに対して、直接的に使っている言葉。
二つ目は、あなた自身が相手と会話をしているときの言葉です。

これは、裏では陰口を言うような人間をイメージすると良いと思います。
例えば、八方美人のAさんは、とにかく他人にはいい顔をするが、恋人のBさんには、ことあるごとに多くの人の悪口を言っている。例えば、Cさんに対して、「髪がきれいですね~!」とか言っておきながら、本音は「小汚くて最悪。ちゃんと洗ってるのかよ(笑)」みたいに思っているという感じですね。

ちょっと例えが下品ですが、このような感じで、対象としている当事者がいないときの言葉をしっかりと観察するのです。つまり、ここであれば、子供たちがいないときに、どのようなことを言うのか?ということになります。

基本的に、言葉以外の内容の観察も、言葉の観察も多くの人が「何気なく行っている」とは思います。しかしそれなのに、なぜ自分が思うような判断ができないのだろうか?と思うでしょうが、それは、何気なくのクオリティーが低いからです。要は、処理の仕方が甘いのです。
感覚的には、一般的な人たちが思っているよりも、かなり「クリティカル」に対象を処理する必要があると思います。
もちろん、これも慣れで、ある程度まで鍛えられると、何気なく処理をするクオリティーも高くなってきます。

では、このような状態にするには、どうすればいいのか?というと、実践をするしかありません。
ただし、直接的な相手がいなくてもできる、訓練効果のある日常の過ごし方は沢山あります。
その中の一つに、ニュース記事の裏側を意識しながら、読み進めていく!という方法があります。
違う言い方をするのであれば、どのような意図でこのニュースは書かれ、配信をされたのだろうか?という、今思いつく限りの疑問を持ちながら読み進めていく、という感覚です。

この時に、その疑問に対して、自分なりでいいので、答えを考えていきます。ちなみに、この時の答えは真実と違っていても良いのです。
つまりは、予測を立てるような感覚で、個人的に思う答えはこれだ!みたいな内容でいいのです。ただし、できる限り多くの内容を考えていくことです。

そして、このような思考処理を、実際に人と対面をしているときにも行うのです。これも慣れると、自然と会話をしながらできるようになります。

このような内容は、人によっては、他人を値踏みしているようで、嫌に思うかもしれません。
しかし現実として、このように、自分なりに色々と考えながら人と接するということは、現代においてはともて大切です。
その理由の一つに、「本当に自分が大切だと思える人を守るため」というものがあります。もちろん「自分の夢を守るため」という部分もあります。

悲しいことですが、友人関係というプライベートな内容でも、本当の友人と言えるような関係性を作れている人は少ないと思います。だからこそ、ところどころで「本気の不満が出てくる」のでしょう。
ちなみに、本気の不満とは、一時的な過失などに対してのことではなく、常時感じている不満という意味で、今回は使っています。

個人的には、友人と呼べる人達にはそれぞれの考え方があり、私と真逆の考え方を持っている人も少なくありません。ですが、私自身はその部分に対して、全く不快に思ったり、疑問に思うことはありません。このような、ある種の寛容性を自然と持てることが、友人という言葉の定義一つだと思っています。

もちろん、今回の記事全体で言いたいのは、友人関係に限定せず、人間関係全般での内容になります。
人間関係と言うのは、基本的に言語と行動でのやり取りになります。そして、現代社会では言語でのやり取りが基本になります。
その中で一部の人間には、言語というツールを悪用して、他人を傷つけたり、不快な思いをさせる人がいます。

特に日本では、おかしな上下関係を強要する場面が多くあります。そのようなおかしな環境の時に利用される言葉が、記事のタイトルにもある、「常識」という言葉になります。

元々常識と言う言葉の意味は

デジタル大辞泉の解説
じょう‐しき〔ジヤウ‐〕【常識】
一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。「常識がない人」「常識で考えればわかる」「常識に欠けた振る舞い」「常識外れ」
[補説]common senseの訳語として明治時代から普及。
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例


常識(じょうしき)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E5%B8%B8%E8%AD%98-79273

最終閲覧日 2019年06月15日
より引用

このように、「社会人が共通に持つ」という言葉が示すように、個人の主張のことではなく、基本的に自然発生的に社会の中で発生した内容のことを意味しています。

しかし、日常で使われている「常識」という言葉の多くの意味は、「自分の中での常識~」というのが正解であり、本来の社会的な範囲の内容とは真逆の意味合いになっています。これにより、多くの人が不要に傷つけられたり、不快な思いをしているのです。

それをここでは、個人の感情的な側面として認識をされるかもしれませんが、それだけではなく、個人の生産性などにも大きく影響が出てきます。簡単に言うのであれば、「嫌な気持ちで高いパフォーマンスは出せない」ということです。
これを社会の枠組みで考えると、「社会の進化の妨げにもなっている」ということです。

本来、社会的な要素をより良くする意味合いで使われる言葉が、一部の困った人間のわがままを押し通すために悪用をされている。
そして、社会全体にも、個人に対しても、多くの悪影響が出ている。
しかし、あまりにも日常的に多発しているので、問題として認識がされにくい…。
このような負のスパイラルにハマっていると、個人的に思ったので、このような記事を今回書きました。

個人間での不要な押し付けに関しては、最初の方に書いた様に、自分の主張を世界の意見だという風に騙しているのだと認識をすれば、今までよりも格段に精神的なストレスはなくなるし、冷静に対応ができると思います。

社会的な枠組みに関しては、規模が大きくなるので、ここでは割愛しますが、一つの考えとして、「多様性の時代である」と認識をして、日々を過ごすことは、とても大切だと思います。

以前も別の記事で少し書きましたが、今の時代と言うのは、昔の人が夢に見た時代なのです。
もし、タイムマシンに乗って昔の人が現代を観に来た時に、がっかりするような時代ではなく、やっぱり未来は素晴らしい!と心の底から思える現代にすることが、今まで時代を作ってきた人々への、恩返しの一つではないでしょうか?

もちろん、過去の人々に対してだけでなく、今を生きる人たち、そしてこれからの時代を生きる人たちのためにも、今のような歪んだ常識は無くしていくべきでしょう。

社会という範囲では、もう少し時間が必要だと思います。しかし個人と言う範囲であれば、もう少し早く効果が出ると思います。
よく書く言葉ですが、無理のない範囲で、できることから少しずつ挑戦や、調整をして貰いたいと思います。

少しでも、皆さんのお役に立てば幸いです。


それでは、今日も最高の一日を。






スポンサードリンク
プロフィール 
皆さんはじめまして。IroN(あいろん)と言います。  このブログでは、皆さんの「スコトーマ」と呼ばれる「心理的な盲点」を少しでも外せることを目標に、様々な記事を書いていこうと思います。  いわゆる「雑記ブログ」のような感じになると思いますが、書きたいことが沢山あるので、本当に幅広いジャンルの内容になると思います。  また、皆さんの人生の「何かしらのきっかけになるような記事」のほかに、ちょっとした暇つぶしに使ってもらえるような「娯楽的な記事」や、私が「いいな~」と思った様々な内容も紹介していきます。 どうぞ、末永くよろしくお願いします。  それでは、今日も最高の一日を!
プライバシーポリシー
プライバシーポリシー   広告の配信について  当ブログは第三者配信の広告サービス「Google Adsense グーグルアドセンス」及び「nend 」を利用しています。広告配信事業者は、ユーザーの興味に応じた広告を表示するためにCookie(クッキー)を使用することがあります。 Cookie(クッキー)を無効にする設定およびGoogleアドセンスに関する詳細は「広告 – ポリシーと規約 – Google」  https://policies.google.com/technologies/ads?hl=ja をご覧ください。 このブログは、Amazon.co.jpならびに、バリューコマースを宣伝し、リンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラム、バリューコマース・アフィリエイトプログラムの参加者です。  第三者がコンテンツおよび宣伝を提供し、訪問者から直接情報を収集し、訪問者のブラウザにCookie(クッキー)を設定したりこれを認識したりする場合があります。   免責事項  当ブログで掲載している画像の著作権・肖像権等は各権利所有者に帰属致します。 権利を侵害する目的ではございません。 記事の内容や掲載画像等に問題がございましたら、各権利所有者様本人がお問い合わせより直接ご連絡下さい。確認後、対応させて頂きます。 当ブログからリンクやバナーなどによって他のサイトに移動された場合、移動先サイトで提供される情報、サービス等について一切の責任を負いません。 当ブログのコンテンツ・情報につきまして、可能な限り正確な情報を掲載するよう努めておりますが、誤情報が入り込んだり、情報が古くなっていることもございます。 当ブログに掲載された内容によって生じた損害等の一切の責任を負いかねますのでご了承ください。   著作権について  当ブログ(Splendor ~素敵な日々をあなたに~)に掲載されているコンテンツや情報についての著作権は放棄しておりません。 当ブログ記事からの引用に関しましては「引用元の明示」によって無償で引用頂けます。ただし、全文転載はお断りいたしております。引用許可範囲についても、 事前予告なくこれを変更する事があります。また、当ブログのコンテンツをそのまま盗用することも禁止しています。
お問い合わせ

名前
本文
記事検索
スポンサードリンク