最近のアメリカでも教育的な観点から
競技性が弱まってきているといわれているディベートですが
田村さんが試合に出まくっていた時代は
バリバリの競技的な時代でした。
当時を良く知るゲストの人々との対談も収録されており
本場のディベートを理解するいいきっかけになるかもしれません。

日本では学校教育などで使われている教科書ですらも
間違ったディベートを紹介しており
これらは
ディベートでは無く
スピーチコンテスト的な方法を紹介しています。
ディベートとスピーチコンテストは全然違います。

ちなみに
よくある
コミュニケーション会話の本の内容は
会話ではなく
「雄弁」的
な方法です。
なぜ、
雄弁「的」
と書いたのかと言うと
簡単に言えば
単なる
言いたいことを「一方的に」独り言のように喋っているだけ。だからです。
この手の本を真に受けている人とのやり取りの場合
多くは
相手は自分、もしくは、相手以外の人間の言い分を聞かずに、
一人で(デカい独り言を)喋り続けているだけ。
当然、そこには
コミュニケーション、
「双方向のやり取り」
が無いのですから、いい結果になることはありません。

ちなみに、
ディベートも
「詭弁ではありません。」

もう2つ書いておくと
日本では
真っ当なことを言う人間は信用ならん!
みたいな大昔からの洗脳のような考えがあります。
もう一つは
真っ当なことを言う人間は
多くの場合
思考停止な人間から攻撃的な対応を受けることが多くなります。
要は
邪魔されることが多くなる。
ということです。
特に、
日本人は論理的な会話を毛嫌いする人が多い。
多くの日本人にとっては
論理的な会話
というのは
コンフォートゾーンの外側にあります。
ですから
その人達のコンフォートゾーンを揺るがすのでドリームキリングを受ける。
と思うと良いでしょう。

では、なぜ一見すると良いことが無さそうな内容を記事にしているのかと言うと
この
良いことが無さそう
という内容は
今の常識的な価値観で今後一生を過ごす人にとっては…という意味です。
要は
死ぬまで他人の顔色を窺って生きていく。
という人は、不要でしょう。
ということ。

そうでは無く
「僕らの未来は 僕らが決めるよ。」
という人には
大きな手助けになるハズです。

ディベートを知るだけでなく
苫米地さんが
「先読みの技術」を考えるきっかけになったであろう体験もちょっことですが出てきます。

ディベート的な思考方法というのは
情報的なツールになります。
ツールである以上、
その人が使わないと効果は出ません。
例えるなら
エアコンという道具を買ったけど
一切使わないので、部屋が涼しくならない。
お店にクレームを言っても相手にされないのは理解できるでしょう?

ただ、人間の情報的なツールは短時間の使用を繰り返すことから始め、継続をするだけでも
効果はしっかりと出てきます。
気付いた時の1分を繰り返すことが
やはり、ここでも大切です。

一瞬で激変!は無いでしょうが
1分の繰り返しで激変は普通にあります。
まずは
小さな一歩から。

今後は、日本の常識に固執していると
かなり
痛い目にあうだろう…。
と思い、今回の記事を書きました。

時代の流れは本当に速いですから
過去ばかりを観ないで
未来を観ることが基本になるように、
どんどん変えていきましょう。
過去を楽しむ時間は
暇な時に(笑)

それでは
今日も最高の一日を!