今回も、いつもとは少し違う記事の書き方に挑戦です(;´Д`)

というのも、以前から、Twitterなどの個別の記事や内容で、いいな~と思うものが沢山あったんですね(((uдu*)ゥンゥン

ただ、色々とありまして、それらについて、記事にしたりしていなかったんですよ(;´Д`)

ですが、最近これまた、色々と考え方が変わりつつあり、近頃は色々な挑戦や思考錯誤を続けています。

んで。

今回も、そんな理由からの記事になります。

まあ今は、何かしら問題が起きたら、その時々にちゃんと対応をしよう((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
という感じでいます(笑)

ですが個人的には、確かに、こちらのミスで他の方々にご迷惑をおかけするのは、本当に申し訳ないと思っています。
そして、そうならないように、注意をしながら記事を書いたりしています。
なので、最初から他人に迷惑をかけるつもりは、一切ない…ということは、ご理解いただきたいのです。

…が(`・ω・´)
最初から、他人の迷惑とかそんなこと関係ね~(・∀・)ニヤニヤ
という意識で、とにかく自分の我欲を満たそうとする連中が…(;´Д`)
まあ、多いこと、多いこと(;・∀・)
ということに、最近改めて実感をするようになったわけです。

んで。
この手の輩に比べれば、私がやっていることは、全然マシでしょう(((uдu*)ゥンゥン
と、最近思えるようになってきたので、やりたいことを、色々と実験的に行っているのです( ´ ▽ ` )ノ




そして今回、この記事を書こうと思ったきっかけがこちらです。


石原 雄さん 
「世界の終わりに柴犬と ジバーズと学校へ行く話 https://t.co/7jYIBCiE2M」 / Twitter

最終閲覧日 2020/01/12




こちらは、おそらく次回のコミックに収録される予定の一話です。

んで。

今回のお話がまた、とても良くて(((uдu*)ゥンゥン
ということで、記事を書きたいな~(´ー`*)ウンウン
と思ったわけですよ( ̄▽ ̄)

ということで、続きへお願います(笑)








そもそもすべての学校の中から選んだ訳ではない

今回のお話では、シバーズ達とご主人が学校の廃墟を色々と見て回っています。

んで。

まあ、極端な言い方ではありますが(;・∀・)
まず間違いなく、現時点で存在をしている地球上のすべての学校の中から、今いる学校を選んだ訳では無いですよね(・・?
まあ、これは現実的では無いので、もう少し身近な場所から書きましょう(笑)

例えば、小学校から中学校へと進むときは、私立の学校に進学をする生徒以外は、自宅が所属する地域の中学校へと強制的に進学をさせられます。

実際に、私の友人は所属地域の端っこに実家があるのですが、そのすぐ近くに、所属外の中学校が目の前にあり、自分が通う中学校よりも明らかに近くにありました。

ですが、このような場合でも、所属地域の学校へと強制的に行かされます。

そして、高校、大学へと進む場合も大抵の場合、かなり狭い選択肢の中から選ぶことが大半です。
まあ、最近では海外の学校も選択肢に入るようにはなっていますが、これも、どちらかというと、親のエゴが大きく関係しているように思います。

まあ、とりあえず、大学とかはいったん横に置きましょう。

ご主人も通っていた高校くらいまでは、一部の生徒以外は、基本的に自宅近辺の高校に進みます。
そして、その進学先の高校に対しても、かなりしっかりとした情報をほとんど得ていません。

ということは…((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

ほぼほぼ、ギャンブルな選択をしている…という言い方が出来る訳です。

しかも、この時に一緒になる友人も、ほぼギャンブルです(笑)



学校での出会いなんて、ほとんどがギャンブルだ…。

今学生の人も、そうでない人も、少し時間を使って考えてみると良いでしょう。

まあ、答えはほぼ決まっていますが(笑)

皆さんの周りの人は、ルフィが麦わら海賊団を作るときのように、自分で一人一人、選んで、交流を持っていますか(。´・ω・)?
と、聴かれれば、間違いなく「NO」でしょう(;´Д`)

しかも、近年では、学校の裏事情をバラエティー番組などでまき散らすことも珍しくなく、教師側が管理をし易いようにクラス編成をしている…ということが、多くの人にバレてしまいました。

つまりは、自分の意志では無く、明らかな他人の都合で、1年間、もしくは3年間以上の時間を共に過ごす人々を、強制的に決められているのです。

そうなると自分にとって、問題が沢山出ることも珍しく無いですよね?

そもそも日本の学校とはサラリーマン養成所…と呼ばれるくらいに、サラリーマンにふさわしい人材を育てるように出来ている…と言っても過言ではありません。

例えば、自分の意志に関係なく、一方的にクラスというチームを編成されたりするのは、サラリーマンになったときに、どこに行っても、そつなく人と付き合え…ということを訓練している…という意味合いもあるでしょう。

もちろん、これだけではありませんがね(笑)

ただ、作中でご主人も言っていますが、同年代ばかりが詰め込まれる…というのは、普通に考えて、異常でしょう。

例えば、アメリカでは、年齢に関係なく科目ごとの習熟度合いでクラス編成が行われます。
しかし、日本では習熟度合いなど一切無視した状態です。
これはよく言われていますが、アメリカなどの場合は、個人の能力をどんどん伸ばしていく…という前提のもとに教育が行われます。
言い換えるのであれば、その人の可能性をどんどん広げていく…ということです。

それとは違い、日本の場合は、平均化を前提としています。
よくあるのが、数学などの問題集の課題を授業中にやる場合、指定されたページまで終わると、多くの場合、他のことをやって待たされます。
仮にその人が、その時間内ですべての問題を終わらせることが出来ても、ほめられることはまずないでしょう。
勝手なことをするなと怒られる可能性が高いです。

ですが、これも冷静に考えればおかしいのはわかると思います。
その人は数学が人よりも得意で、その時間内にすべての問題を解く能力があるのに、その能力を発揮すると怒られる…。
これは、他の人のペースを無視したから…という意味で怒られるのでしょうが、これもおかしな状態です。

人それぞれのペースがあるのに、何をもって全体のペース…という基準を持っているのか(。´・ω・)?
こういう日本のおかしな現象は、書き出すとキリがなくなります(ヽ''ω`)
なので、これもまた別の機会に。

ただ、ここで言いたいのは、日本の場合は、個性を、個人を無視した環境が至る所にある…ということです。

その一つが多くの学校と言えるでしょう。

あと、補足をしておきますと、確かに個人のことも大切ですが、同時に学校などの場合は社会性、公共性ということを学ぶ、養うことも大切だと思います。
そして、これらのために学校という仕組みを使うのは、良いことだと思います。
ですが、現状では明らかに、個人にしても、集団的な視点にしても、歪んでいるので、ちょっと待ってくれ…ということをよく書いているのであって、学校でも個性を、個人を言い訳にして、わがままに振舞ってOKという意味ではありません。

個人の行動に責任を持ちつつ、必要最低限の社会性を持った行動をしましょうね('ω')ノ
ということです。

それが、今回であれば、ドッグランでの「柴距離」と言うことも出来るでしょう(笑)



他人と違うくらいでちょうどいい!

実際には、まだまだ書きたいことは沢山あるのですが、とりあえず、今回はこれで終わりにしようと思っています(;´Д`)
というのも、同じ内容、起点でも、書く内容によって微妙に、色々と違いが出てくるので、その辺の齟齬を極力避けるために、場所を分けた方が良いと思うからです。

んで。

今回の記事の最後に書きたいのは、そもそも、これが基準だということ。
普通だということなど、存在しない!ということです。
多くの場合、時代時代や国ごと、住む地域によって、常識や普通とされることが、大きく異なります。

例えば、関東と関西ではうどんの汁の味付けが大きく変わります。
しかし、それぞの地域の人にとっては、その土地の味が普通なわけで、それ以外の味付けは普通では無く、特別な味になるのです。

では、どちらが日本としての普通の味付けになるのか(。´・ω・)?
ということを、決めたがる人がいますが、これこそナンセンスです(((uдu*)ゥンゥン
どっちも、普通で良いのです。
人によって普通(の中身、内容)は違って良いのです。

そして、人間の認識も、その人ごとに違っていいのです。

むしろ、私が今思っているのは、集団感覚と、同じであればあるほどヤバイ…と感じた方が良いと思うからです。

これは、また別の記事に書く予定の内容なのですが、世の中の成功者と呼ばれるような人たちは、基本的に、超絶な変わり者なのです。
例えば、今年某国で行われる国際的なスポーツのイベントがありますが、その種目の一つに出場をするには、単純に言って1億人に1人の割合で選ばれる必要があります。
その種目は大体世界の上位60人ほどの人たちで競技を行います。
ということは、先程書いた様に、現在の大体の世界人口が80憶人ですから、約1憶人から一人の出場になる訳です。

んで。

ここで大切なのは、残りの9999万人以上の人と、出場をする1人の人、どちらの人たちと、接触をする機会、確率が高いですか(。´・ω・)?
ということです。

まあ、書くまでもありませんよね(笑)

つまりは、多くの常識や普通という言葉や考えの中身は、残りの9999万人以上を基準とした内容…ということです。

そして私がまずいな…と思うのが、この9999万人以上の基準に合わせれば、合わせるほどに、自分を無くしていくからです。

もちろん、この9999万人のなかにも、先程の1人側の考え方を持ち、人生を送っている人も沢山居ます。
ですが、やはり「超少数派」でしょう。

ですが、現実的な選択としては、この超少数派の人たちの考え方やマインドを、お手本にすることが、自分の人生を、自分らしく生きていくために、とても大切なことだと思っています。

そういう意味では、今回のご主人やシバーズ達の言葉や、お話全体は、凄くいい内容だと思っています。

ハルさんも言っていますが、実際に現在の環境に慣れ過ぎた固体は歴史的に見ても、絶滅しています。
それはヒト族の他の種も同じです。

もちろん、原始時代と同じような危険がある訳ではありませんが、生きるということは、現状では、どんな状態でも「サバイバル」です。

そのサバイバルの内容が時代によって違うだけ…ということを理解すると良いでしょうね。

そして、その時代、時代によるサバイバルを生き抜いてきたのが、ご主人…人間と、シバーズ達…ということでもあります(笑)

伊達に縄文時代から生き抜いてきていないんですよ(`・ω・´)


…(;´Д`)

まあ、まあ(ヽ''ω`)

今回は、実験的に新たな書き方をしているので、まだまだ、いつもよりも粗い部分があると思いますが、ご容赦ください(o*。_。)oペコッ


今回、リンクを貼らせていただいたお話は、次の巻に収録をされると思いますので、発売されましたら、皆さんどうぞよろしくお願いします(o*。_。)oペコッ


それでは、今日も最高の一日を!